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花コラム

第12回:キョウチクトウは希望と勇気の花 ~女学生の慟哭(どうこく)の記~

プレミアムフラワーの花コラム

2018.8.1

第12回:キョウチクトウは希望と勇気の花
     ~女学生の慟哭(どうこく)の記~

 広島平和記念公園の西側を流れる本川(ほんかわ)両岸を、夾竹桃(キョウチクトウ)が紅や白色に彩っています。8月6日の平和記念日(原爆の日)の頃に、花は盛りを迎えます。広島に赴任していた頃はよく、この辺りを汗を拭いながら散策したものです=写真は同公園から元安川(もとやすがわ)対岸の原爆ドームを臨む。広島市のホームページから転載=。

葉が竹に、花が桃に似ているから夾竹桃

 夾竹桃の葉は『竹』に、花は『桃』に似ています。それに、「まじる、はさむ」という意味の『夾』を頭に添えて『夾竹桃』と呼ばれるようになりました。暑くなると、風車を連想させる、少しねじれた形の花を咲かせ、秋の訪れとともに散っていきます。毒性があるので、口にするのはご法度ですが、気候の変化や公害に強い花でもあります。

広島にとって特別な花

 以前は、夾竹桃は“夏の風物詩”というぐらいにしか思っていなかったのですが、赴任先で年配の方に「夾竹桃は広島にとって特別な花です」と教えていただきました。
原爆が投下された後、「75年間は草木も生えない」と言われた焦土に、夾竹桃はいち早く咲きました。広島の人々に希望と勇気を与えてくれた花だったのです。45年前に、広島市民の投票で「広島市の花」に選ばれています。

女学生の慟哭の記録

 1945年8月6日朝、女学生だった川野静代さんは勤労動員で働いていた広島市内の工場で被爆しました。その時の様子を『日本の原爆記録3 白夾竹桃の下 女学生の原爆記』(1991年、吉松祐一編、日本図書センター発行)で次のように記しています。

 被爆後、山道を歩いて逃げていると、大きな白い夾竹桃の木の根っこで、同じクラスの山田さんが全身にやけどを負って倒れていました。爆風で飛び散った花びらが、ボロボロに焼けたモンペ姿の山田さんの体を覆っています。山田さんは夏の盛りというのに「寒い、寒い」と震えています。川野さんは夾竹桃の枝を折ってかぶせてあげました。

 辺りが暗くなってきた頃、救護活動をしていた水兵さんが川野さんに「早く安全なところに逃げなさい」と厳しい口調で迫りました。山田さんは動けず、「お父ちゃん、はやく殺して」とつぶやいています。とても一緒に逃げることは出来ません。川野さんは「山田さん、すみません」と心の中で詫びながら、その場を去りました。

 川野さんは万感の思いを込めて、原爆記の中でこう綴っています。『山田さんは、あの白い夾竹桃の咲いている山かげで、あの翌朝、非常にきれいな顔になってこの世を去ってしまったそうです。』

忘れてはならない思いを伝え続ける花

 夾竹桃は、希望と勇気を与えてくれた花ですが、悲しい記憶を呼び起こす花でもあります。辛く、苦しい記憶ですが、同じ過ちを二度と繰り返さないために、心に刻みつけなければならない記憶です。
 公園の上空600メートルで原子爆弾が炸裂した、あの日は焼けつくような暑い日だったといいます。それから73回目の夏が来ました。炎天下で咲く夾竹桃は、忘れてはならない思いを伝え続けています。

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コラムライターのご紹介

福田徹(ふくだ とおる)

元読売新聞大阪本社編集委員。社会部記者、ドイツなどの海外特派員、読売テレビ「読売新聞ニュース」解説者、新聞を教育に活用するNIE(Newspaper in Education)学会理事などを歴任、武庫川女子大学広報室長、立命館大学講師などを勤めました。
花の紀行文を手掛けたのをきっかけに花への興味が沸き、花の名所を訪れたり、写真を撮ったりするのが趣味になりました。月ごとに旬の花を取り上げ、花にまつわる話、心安らぐ花の写真などをお届けします。

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